母が幼少のころたまに行っていたらしい小湊の、小湊漁港公園をゆるく散歩してきました!
初めて行きましたが、なかなか歴史ある場所で驚きました!遺跡とかある……!
公園じたいは地元の人がおしゃべりしていたりでのんびりとした雰囲気、良かったです♪
小湊漁港公園の基本情報
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名瀬小湊|小湊漁港公園
小湊漁港公園ってどんなところ? 国指定史跡の小湊フクガネク遺跡がある! のんびりできる憩いの公園がある(地元民がおしゃべりしているぞ!) 泳ぐ感じではないけど、穏やかな海を眺めるのは楽しい リュウキュ ...
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小湊漁港公園
綺麗、新しそうだけど古い(?)みたいな不思議なところでした。
ところどころ壊れていたのは、もしかしたら近年大きな台風が良く来るからでしょうか……?
公園の入り口はこんなかんじ!
小湊漁港公園の書体がとてもきれいですね!
案内板がちょっとくたびれていたり↓
奄美の看板は傷みやすいのは仕方ないのです!なんてたって台風の影響、大きい!
案内板を見たらわかりますが、中々広いですね!
色々植えられています~(ノ・ω・)ノ
トイレも綺麗でした!
進むと海があります。
南国の海感はありませんが、山のほうの海ってこんなかんじですよね♪穏やかな海というか……あんまり波がないイメージです!
雰囲気が川みたいです(^▽^)/
走り回れる公園があるよ!
子供って
「なんでそんなに走っても走っても走っても楽しそうなの?」
というくらい、走りませんか?
うちの息子はそうなんですけど、思い切り走らせるのって怪我とかちょっと怖かったりするんですよね。
でも小湊漁港公園は芝生がいっぱいなので!転んでもそこまで大けがはなさそう!
その点がとても良かったです!走らせるならここだ!
奥に見える建物にも行ってみました♪
階段にはキノコ……?がちらほら。
模様のようでちょっとかわいい!
奄美でもよくいらすとやのいらすと使われていますねw
小湊漁港公園でもありました↓
すべらないようにってことかな?
雨の日とかは確かに滑りそうでした💦
手すりもちょっと古くなっているようで、注意書きがありました↓
直るまではここは子供、登らせない方が良いかもしれませんね💦
下に降りて散策していると、草に埋もれたベンチがありました↓
どこの雑草もそうだけど、すぐ伸びるから大変!
水道もありました!
こういう水道って何気にないと不便なんですよね~💦
あると思い切り遊びやすいのでとても良いですね!
かつての鯨松現場を発見
かつて↑のライオンみたいなシルエットは鯨松といって、松が生えていたんですよ。
(見たことないけど!母談です!)
実はこの岩は、小湊を象徴する伝説の岩なんだとか。
ある時、一頭のクジラが、きれいな松の生えた岩を背負って、小湊の澄んだ青い海を悠然と泳いでいました。クジラが、重たい背中の岩を置く場所はないかと思っていると、トマリの浜で男神様が手招きをしています。これは幸いとクジラが近づこうとすると、トマリの浜とは反対側の、ナトの浜では女神様が手招きをしています。
どちらの神様も、クジラの背中にのっている、枝振りの良いきれいな松の生えた岩に一目惚れをして、湾のこちらとあちらで懸命に手招きをしたのでした。両方から手招きをされたクジラは迷ってしまい、トマリの浜とナトの浜の間を行ったり来たりしています。
ナトの女神様は、髪を振り乱して帯や腰ひもが解けるのも気付かないほど夢中で手招きをしました。クジラは女神様の盛んな手招きで、そちらへ近づいて行きました。不思議に思ったトマリの男神様が、クジラの向かう方を見ると、ナトの女神様が着物がはだけるのも気づかず、あられもない姿で手招きをしています。
そこで男神様は、女神様に「腰ひもが解けてみっともないぞ」と大声で叫びました。自分の姿に気づいたナトの女神様は、顔を赤くして着物を直し始めました。それ今のうちに、と男神様が懸命に手招きをすると、クジラは男神様のところへ近づこうとしましたが、重たい岩を背中に載せたまま散々、あっちへこっちへと泳いだので、オッコの川の河口まで来たところで力つきて、岩の下敷きになって死んでしまったのです。
それから毎年正月には、子どものクジラがお母さんクジラを慕ってやって来て、岩の近くで鳴く姿が見られると言います。
参考文献:隣重俊『小湊むんがたり』1993年
要約すると↓
- 一本松の岩を背負ったクジラ、神様は一本松に一目ぼれしてクジラを手招き
- ナトの女神は一心不乱に手招きしていたため、あられもない姿になっていた
- 男神様、女神さまに「みっともない!」と注意
- 女神様赤面、腰ひもなどをなおしている間に男神様がクジラに手招き
- しかしクジラはウロウロしすぎて岩の下敷きになり死んでしまう
- 毎年正月に子供のクジラがお母さんクジラを慕いやってきては岩の近くで鳴く
くじら可哀想( ;∀;)
岩がクジラに見えるからこその物語なのでしょうね。
どちらかというとライオンに見えるけど(笑)
みなさんはどんな風に見えますか?
松じたいは枯れてしまったそうです😢
小湊フワガネク遺跡
なんと小湊には国指定史跡があるのです!すごい!
奄美大島東海岸の砂丘上に所在する遺跡からの出土品。夜光貝匙の集中的な生産遺跡でり、原貝に穿孔し、成形~仕上げに至る各段階の未製品が良く揃う。また多数の貝玉を副葬した墓坑もあり、南島地域での貝資源を活用した生業のあり方や埋葬の実態を良く示す。
引用:文化遺産オンライン
小湊フワガネク遺跡は、奄美市名瀬大字小湊の東海岸に面した標高9mの海岸砂丘上に位置している。専門学校の施設拡張工事に伴い、平成9年(1997年)に約600㎡が発掘調査された。その結果、6~7世紀頃に位置づけられる夜光貝匙をはじめとした多量の貝製品とその製作関連遺物などが出土した。
この調査成果をうけて、平成12~14年(2000~2002)に、史跡指定を目指した遺跡の範囲確認発掘調査が12か所で実施され、約25,000㎡に及ぶ遺跡の広がり等が把握された。
遺跡は弥生時代並行期から中世にわたる複合遺跡であるが、6~7世紀頃の遺跡が中核を成す。検出された遺構は、堀立柱建物跡4棟、有孔貝製品集積遺構5基、貝製品製作跡と考えられる遺物集中区5箇所等である。
遺物は、土器、石器、鉄製品、貝製品が多数出土したほか、食料残滓の貝殻・魚骨・獣骨等が大量出土した。そのほか5世紀頃と考えられる墓壙1基及び副葬品の玉類も確認されている。
注目される夜光貝の大量出土
小湊フワガネク遺跡の特徴として、原貝への穿孔剥離から荒割、成形の諸段階を含む夜光貝匙の大量出土があげられる。夜光貝は、南西諸島の温暖な海域に生息する大型の巻貝で、夜光貝匙はその貝殻を素材として製作されたものである。
奄美大島では他に土盛マツノト遺跡などの出土資料が知られるが、当遺跡ほど未製品を含むまとまった出土例は他になく、夜光貝匙の集中的な生産遺跡として当遺跡の持つ意味は大きい。
その分布は、国内では薩南諸島(鹿児島県)及び琉球諸島(沖縄県)に限られ、さらに産地は不明だが朝鮮半島南部の古墳(5世紀後半)からも複数の出土がある。しかし国内では九州本島を含めて、それ以北からの出土は未だ知られていない。
集中的製作が行われた貝製品の生産遺跡
夜光貝匙等の製作用具として注目される資料には、多数の夜光貝蓋製敲打器及び磨石・敲石がある。これらは、台石・砥石とともに夜光貝等の硬い貝殻を剥離成形するための道具として重要である。その他の特徴的な貝製品として、貝玉・貝札・有孔貝製品等もある。
貝玉は遺跡全体の広い範囲から出土していて、その多くは自然穿孔がある小形巻貝の螺頭部分を素材とし、その周縁に細かな研磨を加えたものである。また特に小形の貝玉は、5世紀と考えられる墓坑からガラス小玉とともに出土したもので、当時の葬送の一端をうかがわせる資料である。
貝札は、広田遺跡(鹿児島県南種子町)の上層から出土した資料と類似する。有孔貝製品は、夜光貝や二枚貝等の貝殻に穿孔したもので、漁網に取り付ける錘等の用途が推定され、その集積遺構も確認されている。
貝匙をはじめとする貝製品の集中的な製作遺跡からの出土品として充実した資料であり、その多彩な貝製品の様相は、奄美大島に棲息する豊富な貝資源を用いた多様な貝製品製作技術の存在を良く示している。
古代奄美社会を解明する鍵
出土土器は、甕形土器を中心とした奄美群島の在地的な器種構成・文様要素を持つ「兼久式土器」の前半期(6~7世紀頃)に位置づけられるもので、南西諸島の土器編年研究を考える上でも重要である。
そのほか数は少ないが、刺突具等の骨角製品や釣針等の鉄製品等も出土しており、当遺跡の生業活動や社会組織の実態を示すものとして重要なものである。また沖縄諸島でも早い時期に位置づけられる資料としても注目されるものである。
それらは『日本書紀』『続日本紀』の文献史料にみえる7~8世紀の南島人来朝記事とも時間的に重なるところであり、中央政府に社会の代表を派遣していた当時の奄美社会がどのような社会であったのか、その解明を可能とするきわめて重要な遺跡なのである。
小湊漁港公園は歴史もあってのどかで面白い場所だった!
小湊漁港公園は知る人ぞ知る、というか歴史が好きな人にはとてもいい場所なんだなあ、と思えるところでした!
子供も走り回れるしのどかだし、良いですね(^▽^)/
小湊漁港公園の基本情報
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名瀬小湊|小湊漁港公園
小湊漁港公園ってどんなところ? 国指定史跡の小湊フクガネク遺跡がある! のんびりできる憩いの公園がある(地元民がおしゃべりしているぞ!) 泳ぐ感じではないけど、穏やかな海を眺めるのは楽しい リュウキュ ...
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