奄美|加計呂麻島実久|実久三次郎神社
実久三次郎神社ってどんなところ?
- 実久にある手軽に立ち寄れる神社
- 源為朝はあの源頼朝の叔父であり、源義朝(頼朝の父)、平清盛に追討され伊豆大島に渡った人物。その源為朝の子どもと言われる「長子・実久三次郎」が祀られているのが実久三次郎神社!
- 実久三次郎の手形と足型と言われる痕跡がある
- 歴史好きさんにはたまらん場所ですね!
住所 | 鹿児島県大島郡瀬戸内町実久 |
電話番号 | - |
トイレ | なし |
駐車場 | なし(駐車できる場所もなく、道路も狭いので、広い所に車を停めてから行ってね) |
到着時間目安 | ★瀬相待合所から約35分 ★生間待合所から約1時間10分 |
実久三次郎神社の周辺写真
実久三次郎神社の由来看板
今から約八百年前の永萬二年、源為朝が喜界の小野津港に上陸して、一軒家を訪れると美しい娘が機織りをして居った処、為朝の顔を見ると「貴男は八郎殿ではないか」と話かけてきたので、為朝はびっくりした。この島で自分を知っている物がいる筈はないと問い返した処、昨夜の夢で貴男が訪ねて来ることを知らされたと申し、それが縁となり夫婦の契りを結び一子を儲けた。
為朝は喜界に居っては十分な勢力を造ることが出来ないと感じ、小野津に神社を造って喜界を離れ大島北部に上陸したと伝えられ、これが喜界の小野津神社の由来とされています。
その後、為朝は本島を南下して各地に伝説を残して当時実久に来たのであります。この実久神社には、長子実久三次郎が祭られており、この加計呂麻島の旧実久村及び鎮西村の名称もこれにちなんで居るのとの伝説があります。
鎮西八郎為朝の子・実久三次郎が宇検の名柄八幡と力比べをした時に用いたと伝えられている石が二基、当神社に安置されているのでありますが、此の石に三次郎の手形、足型と言われる痕跡がありまして、実久三次郎が如何に巨人型の人であったかを物語っております。
引用:実久三次郎神社由来|瀬戸内町
簡単にまとめると
- 源為朝が喜界で娘と出会い、結婚。
- 喜界の小野津神社は為朝が作った。
- 神社を造った後に為朝は南下、実久に上陸
- 実久神社は実久三次郎が祭られている
- 実久三次郎vs名柄八幡が力比べした石が二基、神社にあるよ
- 実久三次郎はとても大きい人だったよ
ということが書かれています!
行ってきました!体験レポート
行ったら随時追加していきますので、お楽しみに♪
周辺の見どころポイント
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