島尾敏雄文学碑記念公園ってどんなところ?
- 純文学者として著名になった島尾敏雄の文学記念公園
- 島尾敏雄が戦時中、特攻艇の隊長として加計呂麻島呑之浦に駐屯していたことから、加計呂麻に文学碑公園がある
- 島尾敏雄家族が眠る墓がある
- 特攻艇が飾ってある
- 散歩するにのどかな場所
住所 | 鹿児島県大島郡瀬戸内町 |
電話番号 | 0997-72-1111(瀬戸内町役場) |
トイレ | あり! |
駐車場 | あり! |
到着時間目安 | ★瀬相待合所から約10分 ★生間待合所から約25分 |
島尾敏雄文学碑記念公園の周辺写真
島尾敏雄文学碑記念公園の立て看板
1986年(昭61)11月12日、作家島尾敏雄は忽然として69年の生涯を閉じた。
その突然の死は、この先の島尾が果たしたと思われる文学的仕事を惜しむ声をさらに高めることになった。
作家に対する惜別の情は、やがて文学碑建立という形に実を結び、島尾の三回忌を期しての文学碑建立が具現化した。
そして、それにもっともふさわしい場所としてこの地呑之浦が選定された。
1988年(昭63)7月、文学碑建立実行委員会が発足、文学碑建立のための諸準備に取り組んだ。
全国の文学愛好家、郷土出身者、震洋隊関係者ほかさまざまの人々、そして地元瀬戸内町においてはほぼ全戸から寄付が寄せられ、この文学碑建立にこぎつけることができた。
同年12月4日、雲一つない青空の下、ミホ婦人、第18震洋隊島尾部隊元隊員をはじめ、多数の関係者を迎えて晴れやかに除幕式を挙行した。
その後、文学碑は瀬戸内町が管理し、町は文学碑記念公園として周辺の環境整備に力を注いだ。
現在町は、文学碑周辺の維持管理とともに、第18震洋隊島尾部隊基地跡の保存にも力を尽くしている。
1993年1月
島尾敏雄文学碑建立実行委員会引用:文学碑記念公園の立て看板
行ってきました!体験レポート
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【加計呂麻|島尾敏雄文学碑記念公園】行ってきました♪のどかな散歩スポットですね
シロの母におすすめされて、文学碑記念公園に行ってきました♪ 文学碑や、戦争の復元物などある場所です。 島尾敏雄文学碑記念公園の基本情報 このページのもくじ島尾敏雄文学碑記念公園へGO島尾敏雄文学碑島尾 ...
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